「宗教はやばい」
やはり日本で宗教の話をするとポジティブよりネガティブな印象を持たれがちです。
そんな中でみなさんに聞きたいです。
みなさんはなんの宗教を信仰していますか?
キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教など。この世の中には数えきれない宗教の数が存在しています。
つまり、私たち人間よりも上にいる存在に対してへの行いのことを言うのです。
代表的な宗教だと、キリスト教が挙げられます。キリスト教徒は世界におよそ20億人いるとされ、とても巨大なコミュニティであると捉えらえます。神という絶対的なものに対してこれほど大きなコミュニティが形成されているのです。
今回の記事では、そんな宗教がどのように誕生していったのか、コミュニティとしてどのように機能しているのか、これからの社会でのコミュニティの在り方とどうつながっていくのかを考察していきます。
目次
宗教とは?
宗教とトークンエコノミーについて考察していくにあたって、まずは宗教自体のことを知らなければなりません。
宗教が生まれた背景から現在の宗教に至るまでをひも解いていきたいと思います。
宗教に関する学者さんがいればその数だけ背景は存在していると思うので、私の意見もその中の一つだと思って聞いてください。
神が誕生する
上述した宗教の定義をもう一度振り返ってみると、「神」という言葉が入っています。当然ですが、神というのは目に見えるものでも物質的に存在しているものでもありません。
つまり、「想像の中のもの」に過ぎないのです。
ですので、宗教の起源について考えるときに、ヒトが「物事について考えられるようになる」というのは大きな動きです。
ヒトが物事について考えを巡らせるようになったとします。みなさんは、普通に生活していて、自分の力ではもはやどうしようもない状態に陥ってしまったことはありますか?
ほとんどの人があると思うのですが、そんなときに私たちは焦りや不快感、不安感を感じます。
日々の生活が便利になってきた現代社会ではそのような感覚に陥ることも少ないとは思います。しかし、スマホもパソコンも電気すらない時代で困難にぶつかってしまったと考えたら、とんでもない不安感に襲われるのではないでしょうか。
そして人々は安心感を求めるのです。
自分をその場から救ってくれる他者がいるんだ、信じていれば必ず助けてくれる、だからこの困難を不安に思う必要がない、安心だ。
こんな感じです。そして自分の想像力の中で、絶対的な信頼を置いて個人が作り上げたのが「神」という存在なのです。
社会が大きくなる
ヒトは、社会というものを形成する以前に、もっと小さいコミュニティで生活していました。他者と協力すること、ともに生きていくことを選んでいたのです。
そんな中においても、個人の中には神が存在していて、心のよりどころとしていました。しかし、生活スタイルが変わることによって、生活における困難や不安感は変化していきます。
その小さなコミュニティにあった神が誕生してくるのです。もともと個人の中に存在していた神がリメイクされて、コミュニティ内では共通ともいえる神が誕生します。
この時点で、当初各個人にいた神の総数自体が減ってきていることがわかります。そして、時代が進むにつれて帰属するコミュニティの規模が大きくなっていきました。
そして現在でいう「国」というレベルまでコミュニティが大きく、そして個人に内在する神の在り方も、一般化していきます。
宗教になる
そして今回のテーマでもある「宗教」です。小さなコミュニティが誕生し、そのコミュニティ内での「神」が共有された状態が宗教の始まりといえます。
現存する宗教になる過程は2つあると考えています。
一つ目は、神に対して人が集まってきてコミュニティを大きくしているものです。
一つ前のパラグラフで触れましたが、コミュニティの規模はどんどん大きくなっていきます。しかしコミュニティの規模は大きくなっていきますが、共有される神はある程度のところで固定化されます。
そして今度は、その固定化された神に対してのコミュニティが広がっていきます。その神に対して共感を持てたり、その神が自分の心のよりどころとなる人がコミュニティに参加してきます。
これによって現存する宗教のように、ある程度の規模感が生まれます。
二つ目は、コミュニティを統治しやすくするために特定の神を共有するものです。
あらかじめ統治者が「理想とする神」を作り、そのコミュニティ内での指針を作り上げることで、より多くの人に対して考えを共有しようとするものです。
小さなコミュニティであれば、血縁者のような比較的近しい人で構成されますが、大きくなるにつれ自分と何の関係も持っていない人とも構成されるようになります。やはり、他人と価値観や考えを共有するのはとても難しく、あらかじめ神という概念を定めることによって統治のしやすい環境を作っていこうとしました。
しかしどちらにも共通して言えるのが、コミュニティ内での「神」という存在が共有されている状態が宗教である、ということです。
宗教というコミュニティ
ではここからは、宗教というものはどういうコミュニティなのかを、Coininfoが目指す社会と絡めて考えていきたいと思います。
Coininfoが目指す社会
私たちCoininfoが目指す社会は、「より善な社会」です。善な社会について下の記事で詳しく書いています。以下はかなりかいつまんで説明しています。
善なる社会とは、非中央集権的社会であり、それを実現するために分散型社会を目指しています。そしてこの分散型は仮想通貨や、仮想通貨に使われているブロックチェーン技術によって実現可能なのです。
宗教は分散型コミュニティなのか?
では、ここまで見てきた宗教は私たちCoininfoが目指す社会とどのような接点を持つのでしょうか?
私は、宗教は非中央集権的なものであると考えています。
一神教と多神教の両方を見ていきます。まずは一神教から。
一神教はその名の通り、1つの神を信仰の対象とするものです。本来、神はたくさんいたはずなのですが、コミュニティの拡大や統治のしやすさから、1つの網羅性の高い神が誕生したのです。
これは、分散から集約が起きたということが言えます。
集約していることから、中央集権的なんじゃないか?とも捉えられますが、あくまでも分散型であるといえます。
神とは、物質的に存在するものではありません。あくまでも概念的なものです。
心のよりどころであった神が、よりたくさんの人と共有されるようになっていったということは、複数の心に存在していて、複数人から構成されているといえます。
これは、ブロックチェーンの仕組みに似ています。
ブロックチェーンは、ノードが二つ以上存在する限り、その仕組みも存在し続けます。一つだけになってしまうと、管理が一人だけになってしまうので仕組みとして成り立ちません。
宗教も同様で、神というものが一人だけの心のよりどころの場合は宗教と定義しませんでした。複数人、つまりコミュニティとして神が共有されるようになって初めて宗教といえるのです。
言い方は少し悪いですが、神をみんなで管理している状態です。(感覚としては神に管理されているのですが)
多神教の場合はより簡単に非中央集権的だということが可能です。
多神教とは、すべてのモノにはすべて神様が宿っているというものです。一神教では、神は絶対的な一つでしたが、いたるところに神様が存在するのが多神教です。
多神教は、それそれが心の中に持っていた神を、1つに統一させることなく、たくさんの人がそこに神は存在していると認識するだけで成立します。
わかりやすい分散型の例だと思います。「どの神が強い」みたいな話は行われず、学問の神様や恋愛の神様など専門性を高めた神様を、頼りたいときに頼る。頼りたいと思ったときにコミュニティが形成されていきます。常に複数のコミュニティが、多神教の中で、共存している状態です。
宗教がトークンエコノミー形成の近道
現存する宗教は、1つの神もしくは複数の神を崇拝する、もしくはその概念を共有するという共通の価値を持ち合わせています。また、多かれ少なかれ属する人というものも当然コミュニティには存在しています。
トークンエコノミーを形成するにあたって、宗教はコミュニティとしてあるべき姿そのままなのです。
つまり、宗教によってコミュニティを形成することは、トークンエコノミーを形成するための近道であるといえます。
そして、日本という国で見たときに、より多くの宗教を取り入れているという事実があります。しかし、すべてを受け入れているわけでもありません。
あくまでも自分たちが取り入れたいと思った部分を取り入れているだけです。
ですがその多文化を取り入れることのできる日本人としての素養がとても重要です。
日本人は多神教の文化から始まり、現在は多様な宗教を受け入れたりと、多くのものに価値を見出すことができるのです。
つまり、トークンエコノミーのように、たくさんのものに価値を見出し、それぞれのコミュニティを作り出し、それぞれのコミュニティに合わせて生活することに対応しているのです。
つまり日本にはトークンエコノミーが合っているといえるのです。
宗教のようにコミュニティが広がっている事例
宗教的なアプローチをとることによって、トークンエコノミーには欠かせないコミュニティ形成をすでに行っている事例を最後に挙げたいと思います。
それは「オンラインサロン」です。
500以上のオンラインサロンが既に存在していて、著名な芸能人もオンラインサロンを開設しています。
このオンラインサロンこそ、宗教的な要素の強いコミュニティ形成の方法なのではないかと考えています。たとえば落合陽一さんのオンラインサロンである「落合陽一塾」。
落合陽一という人間がこのオンラインサロンの中では、1つの概念として登場し、議論の場を提供したり様々な情報を発信してくれたりします。
一種の神として、その神に対して価値があると感じ、概念を共有してお金を払ってでもそのコミュニティに属する意味があると感じた人で構成されています。
これにより、オンラインサロンは宗教的なアプローチでコミュニティ形成をしている事例として挙げることができるのです。
宗教とトークンエコノミーをまとめる
トークンエコノミーはたくさんのコミュニティによって形成されていて、その中のコミュニティ形成は宗教的なアプローチをとることがいいのではないか、という記事でした。
そして宗教的な側面から見ても、日本はトークンエコノミーが合っている国ということもわかりました。
「本当のクリスマスの意味をわかっていない」「ハロウィンは本来そんなものじゃない」よく日本人に対して言われる言葉です。
しかし重要なのはそこではなくて、他国の文化を取り入れることのできる日本人の許容力であると思っています。
他の宗教を幅広く受け入れることのできる日本では、トークンエコノミーがどこよりも早く広がっていくと考えられます。
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