性悪説を経験した僕が書く性善説



こんにちは!CoinInfo編集部のといです!

今回は私が実際に体験した話について記事にしたいと思います。

CoinInfo編集部が掲げる理想の社会。
それは「善なる社会」です。

善なる社会とは、言い換えれば性善説で成り立つ社会。
性悪説の世の中をいかに性善説で成り立つ社会に近づけていけるのか。

これこそがCoinInfo編集部が追い求める形だと思います。

今回はそんな性善説について私の考えを記事にしましたので、ぜひご覧になってください!

性善説と性悪説を紹介する

まずは、性悪説と性善説について簡単に解説していきたいと思います。

性悪説について解説する

本来の性悪説は、紀元前3世紀ほどに中国の思想家である荀子が提唱した概念です。
「人の性は悪なり、その善なるは偽なり」と述べており、生まれながらに悪であるが、人生において真面目に努力することで善な存在になることができるという意味を持っています。

今回の記事においては、「人は生まれながらに悪である」という意味で捉えており、その先に善が待っているというところまでを考えてはいません。

少なくともネガティブなイメージで使っています。

性善説について解説する

本来の性善説は、中国の思想家である孟子が提唱した概念です。
「人は生まれながらに善であるが、放っておけば悪に染まっていってしまうので気をつけなければならない」という意味が本来の性善説です。

なお、今回の記事では、「人は生まれながらに善であり、放っておいても悪いことはしない」という意味で捉えています。基本的に悪い存在になるというところまで考えてはいません。

ポジティブなイメージで使っています。

性善説も性悪説も本来の目指す場所はどちらも善なる社会です。
しかし、生まれながらにどう捉えているのか、人をそもそもどのように捉えているのかが重要な概念になってくるので、本来の解釈とはずらしています。

CoinInfo編集部が考える理想の社会を解説する

次にCoinInfo編集部が目指している社会について考察していきます。

具体的には以下の記事で述べていますので簡単に説明します。

【今後】2019年の仮想通貨はこうなってほしい

2018.12.31

CoinInfo編集部では今の世の中や社会を中央集権社会と捉え、信用という行為が必要な状態であると考えています。信用が必要であるというのはすなわち、相手を本質的に信じることができない、疑うことから始めるということです。

つまり、人を本質的に疑っている、性悪だと認めているのです。

私たちはそのような社会はよくないと考え、より透明度の高く、信頼性の高い、ボーダーレスな社会を実現させることを目指しています。その社会こそが性善説であると言え、CoinInfo編集部が目指す社会は「善なる社会」であると言えるのです。

それを実現させるための手段として、分散型社会やトークンエコノミー、ブロックチェーンが存在していると考えています。

性悪説の中で生きていた実例を紹介する

筆者はつい先日、お酒に酔ってカバンを盗難にあってしまいました。
その時に感じたこと、その話を仲間にしているときに、自分がどれほど性悪説に生きているのかを実感したので、それをここに記しておきたいと思います。

その時の状況を解説する

まずは状況説明から。
その日、私はお酒を友達とお酒を飲んでいました。盛り上がっていたので、飲むお酒の量も尋常ではなかったです。

飲み会は何事もなく終わったのですが、終電を逃していたので、とりあえずオフィスに帰って寝て始発を待とうとしました。

しかし、帰路でフラフラし始めたのです。とりあえず座って休んでいました。
そのときに、「お兄さん、大丈夫?向こうで休もう」
そういってくれる優しいお兄さんに会いました。その人は私のことを介抱してくれて、とても親切に思えました。

「とりあえずカバン下ろしなよ」
そう言われてそのままカバンを下ろし、しばらく休んでいました。これが一番の原因だったのでしょう。

ふと、我に返ったときには、お兄さんもカバンも無くなっていました。
盗難にあったのです。

その時の気持ちを解説する

そのときの気持ちは忘れようもありません。

全てが無くなった絶望感と、カバンを盗んだ人たちに対しての怒り、そんな自分に対しての強大な嫌悪感、様々な感情が渦巻いていました。

周りにいる人、全員が犯人に思えてきてしまったのです。
とても不思議な感覚でした。怖くなってしまうのです、その状況にいる自分が。

ただひたすら、取られてしまったことに対して、後悔をし続けるしかありませんでした。

自分が性悪説の中で生きていたことを実感する

その話を仲間にしました。
自分がカバンを盗まれたことに対してどのような感情になったのか、犯人に対してどのような感情を抱いたのか。

そのときに仲間から言われた言葉が衝撃的でした。

「いつも、性善説で成り立つ社会を作りたいって言ってるのに、めちゃくちゃ性悪説になってるよね」

自分が作りたい社会に対して、自分が足止めをかけていたのです。

誰も信じることができなかったこと、僕の提示した解決策は犯罪が起きることありきだったこと、社会に対していいものを発揮せず愚痴ばかり発していたこと。

全てが性悪説になっていました。

犯罪が起きないように街中に監視カメラを張り巡らせよう。
持ち物すべてにトレーサビリティができるようにGPSをつけよう。
犯罪を起こしそうな人をあらかじめ取り締まれるような仕組みを作ろう。

どうしても犯人を捕まえたい一心で、出る言葉がすべてネガティブであり、性悪でした。

しかしそれは、犯罪にあった自分にしかわからない感情でしょう。
実際にものを取られてみて、初めてその感覚は味わえるのだと思います。

そんな性悪説の中で生きていた私だからこそわかる、性善説社会の良さ。
それを知ることができた私だからこそ、この社会を変えていかなければならないと感じました。

性善説と性悪説をまとめる

今回の記事は、筆者が体験した実際の事例から、性善説的な社会を目指すことの大切さを伝えさせていただきました。

性悪説で生きていた自分が、それに気がつくことができ、性善説で生きることの大切さを噛みしめる事ができました。

それを知る事ができた私だからこそ、それを伝える義務があります。

これからもCoinInfo編集部を通じて、世の中に疑問を発信して行きたいと思います。

よろしくお願いします!

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